1966年の資本収支は1億ドルの黒字であったが、これは主として民間の長期資本の導入によるものでした。
このような国際収支状況からみて、60年代の中頃におけるウォンは弱い通貨であり、切下げを繰り返したのも当然のことといえるでしょう。
しかしながら、1976年の国際収支からみて、ウォンはむしろ強い通貨となったと判断されます。
この年に経常収支の均衡を達成したからです。
その最大の理由は、輸出の急増による貿易収支の改善がすすんだことでした。
湾岸戦争が起きる直前に作られたこの映画は、民主主義国アメリカが、"狂信の国イラン"告発と見ることもできるが、監督のブライアン・ギルバートは、この作品の主題を「ごく当たり前のアメリカ人女性が、自分の内に眠っていた偉大な力を発見していく点にある」と語っている。
監督はロンドンのナショナル・フィルム・スクール出身で、「バイス・パーサボクとパパの大逆転」(V)のブライアン・ギルバート。
男尊女卑や人権無視に甘んじては生きられないと、死刑につながる密出国の道を選ぶ決心をした女性の存在が、何よりも胸にこたえる。
製作は「ナイト・アンド・ザ・シティ」のハーリー・J・アフランドとメアリー・ジェーン・アフランド、脚本はテレビ出身のデイヴィッド・W・リンテルズ、撮影は「広告業界で成功する方法」のピーター・ハナン、音楽は「愛がこわれるとき」のジェリー・ゴールドスミスが担当。
一九九〇年/アメリカ 「星の流れる果て」
時代は一九八四年から八六年。
イランでは七九年にホメイニ革命政府がイスラム共和国を成立させ、民族意識が強まる中、八〇年からイラクとの全面戦争に突入していた。
革命のシンボル的存在として、ホメイニは最高指導者に就任し、10余年にわたって正教一致の強硬な政治を展開した。
自分の意志に反して、イランから出国できなくなった平凡なアメリカ人主婦が、娘と共に国外脱出するまでを描いた人間ドラマ。
アメリカ・ミシガン州に住むベティとムーディ夫婦は結婚して七年、五歳になる娘もある。
ムーディはイラン人の医師で、アメリカに渡って二十年になるが、医師仲間からも人種差別のいやがらせを受けている。
そんな折、イランにいる姉から電話があり、ムーディは帰郷の衝動にかられる。
危険な国へ娘を伴うのをしぶるベティを、二週間の里帰りだとだまし、テヘランに飛ぶ。
セックスなど蚊に刺されたようなものとローズは思っているのだが、セクシーな態度に男たちは性欲過多な女だと思っている。
ヒリアー氏も、ローズを診た医者も閉口し、ローズは淫乱症だからと子宮や卵巣の摘出手術をしようとする。
ヒリアー夫人が激怒しヒリアー氏も非を認める。彼女はウィルキーと離婚した後何度か結婚と離婚を繰り返し、しかし最後の25年間は、幸せに落ちついた暮らしを送ったということをバディは知るのだった。
監督は「天才アカデミー」のマーサ・クーリッジ、カルダー・ウィリンガムの原作(邦訳・扶桑社刊)をもとに彼自身が脚色、製作は「ダイ・ハード2」の監督レニー・ハーリン、エグゼクティヴ・プロデューサーはマリオ・カサールとエドガー・J・シェリック、撮影はジョニー・E・サイエン、音楽は「グリフターズ 詐欺師たち」のエルマー・バーンステインが担当。
思春期の長男に「女の子はセックスじゃなくて、愛を求めているのよ」と言い聞かせるローズの言葉が切実だ。
ランブリング・ローズ
幼時に父親から性暴力を受け、売春宿にいた過去をもつ娘の話。
1935年8月、封建的な気風の残るジョージア州。
古いしきたりにとらわれずに暮らそうとするヒリアー一家のもとに、ローズ(ローラ・ダーン)という田舎娘がお手伝いとして、また長男のバディ(ルーカス・ハース)を始めとする3人の子供たちの遊び相手として雇われてやって来た。
ローズは優しく受けいれてくれる人たちに弱く、ことに誉め言葉をかけられると愛されたと思い込む性癖があった。
この作品は、第5回東京国際映画祭の一部門「カネボウ国際女性映画週間」に上映された、8か国11本の映画の一つである。
男の恋とは、自分の思いを強引に押し進めることでしかないのか、イールの言動はまことに一方的だ。
「髪結いの亭主」のパトリス・ルコントが、ジョルジュ・シムノンの原作『イール氏の犯罪』(邦題『仕立て屋の恋』ハヤカワ文庫刊)をもとに監督・脚本を手がけたもので、製作順としては「髪結いの亭主」の前作。
アリスが考えているのは殺人を犯したエミールのことだけだ。
だからアリスの思いをないがしろにするイールのおめでたさを、アリスは利用する気になったのだろう。
極端にきれい好きで孤独なイールは近所の人々からは嫌われており、売春宿に通い、ボーリング場で抜群の腕を披露することを習慣としていたが、そんな生活に変化が起きていた。